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雅楽谷の森とは
蓮田市の市民が雅楽谷の森と呼ぶ周辺にある雅楽谷遺跡は埼玉県の縄文時代後期・晩期(約4000~2500年前)を代表する遺跡のひとつ。
雅楽谷遺跡は元荒川から分岐した小さな谷に面した台地の上にあり、国立療養所東埼玉病院の病棟建設の際に発掘調査が行なわれ、竪穴住居跡や墓の跡や多量の縄文土器・石器が出土しました。 雅楽谷遺跡の特徴は、近年日本各地で発見され注目されている「環状盛土遺構(かんじょうもりどいこう)」が大変良い状態で残されている事。この環状盛土遺構とは縄文人が多量の土砂をドーナツ状に盛り上げたもので、雅楽谷遺跡のそれは差し渡し100mを超える大きな物です。この盛土の中からは土偶や石棒・耳飾りなどの珍しい遺物が多数出土しています。
雅楽谷の由来
雅楽谷遺跡に残る縄文時代の集落に住んでいた縄文時代の人々が収穫や猟の後に、黒浜の昔の人達が神々に感謝して宴を開いていたことから、そのあたりを「雅楽谷」と言うようになったとの事です。
黒浜貝塚とは
黒浜貝塚は、縄文時代前期中葉「黒浜式土器」の標式遺跡(ひょうしきいせき)・貝塚として著名で、平成18年7月28日に国指定史跡となった蓮田市の貝塚です。
黒浜式土器は以前に「蓮田式土器」と呼ばれていましたが、後の研究より「花積下層式土器」、「関山式土器」、「黒浜式土器」と細分され、その最終末に位置付けられました。 黒浜貝塚は、縄文時代前期関山式期末葉から黒浜式期を中心とした貝塚を伴う集落遺跡、北側谷部に向かって東西約50メートル、南北約40メートルにも及ぶ縄文人が行った大きな土木工事の「凹地状広場」を取囲むように、東西150メートル、南北95メートルの範囲に住居跡及び土坑群が展開。 この事から黒浜貝塚は典型的な縄文時代前期のモデル村と言うことが出来ます。 硬砂層と呼ばれる硬い石のような地層が崖に露呈していたと推測され、この硬砂ブロックをカキの着生・半養殖を目的とした着床材として利用していた事が斜面部には推定され非常に重要な研究成果が確認されています。